シャトー・ペトリュス2011年は、シャトー・ペトリュス社が造る世界で最も希少価値の高いワインのひとつと言われているシャトー・ペトリュスの2011年に造られたワインだ。シャトー・ペトリュスのワインの相場は安定していて、常に高値で取引されている。シャトー・ペトリュスは、サン=テミリオンAOCに近いポムロールAOCというところに位置している。
シャトー・ペトリュスが高値で取引されている要因は、限られた畑から小量の赤ワインを生産していることにある。少しだけカベルネ・フランを使い、メルロー種のブドウを贅沢に使っている。セカンドラインのワインは作らないというのがシャトー・ペトリュスのモットーだ。
今回はアペラシオン・ドリジーヌ・コントロレの偉大なワイン、最も高額なワインとして知られているシャトー・ペトリュスをご紹介する。合わせてシャトー・ペトリュスの相場についてもお伝えするので最後まで読み進めてほしい。
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シャトー・ペトリュスとは
シャトー・ペトリュスの当初の畑は 約7ヘクタールだった。アルノー家がこの畑を所有したのは18世紀中頃のことだ。20世紀の初めに、アルノー家が La Société Civile du Château Petrus を設立する。
このとき、株式も一般に公開した。
シャトー・ペトリュスの歴史
シャトー・ペトリュスの歴史を下記にまとめたので見ていただきたい。
- ・1878年 パリ万国博覧会でシャトー・ペトリュスが金メダルを獲得する。
- ・1925年頃 リブルヌのオテル・ルバを所有する未亡人のエドモン・ルバがシャトーの株式を買い始める。
- ・1945年 ジャン=ピエール・ムエックスがシャトー・ペトリュスの独占販売権を獲得する。
- ・1947年 シャトー・ペトリュスをエリザベス王女とエディンバラ公フィリップの結婚式で提供する
- ・1949年 エドモン・ルバがシャトーの単独オーナーになる
- ・1953年 マダム・ルバがエリザベス2世の即位式でシャトー・ペトリュスを1ケースバッキンガム宮殿に献呈する。
- ・1956年 霜害の影響でシャトー・ペトリュスのぶどう畑の3分の2のぶどうが枯死する。
- ・1961年 マダム・ルバ死去。姪のリリー・ラコスト=ルバと甥のリニャックが争う事を考慮して、株式はジャン=ピエール・ムエックスが引き継ぐこととなった。
- ・1962年 ジャン=ピエール・ムエックスが敷地の半分を購入する。
- ・1964年 ジャン=ピエール・ムエックスがリニャックの株式を購入する。ジャン=クロード・ベルエをシャトー・ペトリュスに入れる。
- ・2003年 ジャン=ピエール・ムエックス死去。ジャン=ピエール・ムエックスの息子のジャン=フランソワ・ムエックスがシャトー・ペトリュスのオーナーとなる。
- ・2007年 ジャン=クロード・ベルエが44年間務めた技術監督を引退。エリック・ムリザスコが引き継ぐ。
- ・2008年 オリヴィエ・ベルエが醸造技術者となる。
- ・2013年 樽での販売が終了。
シャトー・ペトリュスの生産について
シャトー・ペトリュスのぶどう園の広さは11.4ヘクタールだ。場所は、ポムロールAOCの東に位置する。シャトー・ペトリュスのぶどうは95%がメルロー種、5%がカベルネ・フラン種となっている。
シャトー・ペトリュスのぶどう園は Petrus boutonnière (ペトリュスのボタン穴)と呼ばれる台地の上にある。シャトー・ペトリュスのぶどう畑の土壌は元々は鉄分たっぷりの粘土だ。crasse de fer (鉄かす)と表現されることもある。
実は、シャトー・ペトリュスのぶどう畑の周りのぶどう園の土壌は、シャトー・ペトリュスのぶどう畑とは異なっている。シャトー・ペトリュスのぶどう畑と比べると、砂礫や粘土質の砂が混じっているので明らかに違うのだ。シャトー・ペトリュスは、ボルドーで初めて若い実を間引く方法を導入したことでも知られている。
当然、若い実を間引くと収穫出来る量は減ってしまうが、その分残ったぶどうは上質のものが出来る。ぶどうは丁寧に手摘みされ、長い時で3日ほどかけて摘み取られている。そこまでぶどう園自体が広くないので、収穫するスピードは調整可能だ。
シャトー・ペトリュスはその品質を維持する為に、厳しい品質検査をおこなっている。カベルネ・フラン種は、現代ではほとんど使用されなくなったと言われている。つまり、シャトー・ペトリュスはメルロー種だけのセパージュワインということになる。
作ってすぐのワインは、フランス産の新しいオーク樽で2年間熟成される。通常、シャトー・ペトリュスの生産量は、多いときで2500ケースといわれている。上述したように、シャトー・ペトリュスのぶどう畑の土壌は粘土質だ。
これは、メルローの栽培にピッタリだと言える。まるでスポンジのように水分を保水できるのメルローの栽培にピッタリな理由だ。
メルローは手に入れるのが難しい
2006年にはここ最近の中で最高の当たり年とされるシャトー・ペトリュス2005年が、先物取引で34万円ほどの値段となった。この出来事は、ボルドー最高峰のワインだと証明する出来事だったと言えるだろう。シャトー・ペトリュス2005年は、メルローを100%用いている。
しかし、誰もが思い描くようなメルローのイメージとは大きく違う。早飲みでき、口当たりがいいという感じではなく、長年熟成して初めてその良さが引き立つ。長期熟成されたメルローはまるで、煮詰めたジャムのような味だと表現されることもあるほどだ。
パーカー・ポイント100点をたくさん出している
シャトー・ペトリュスがワイン愛好家の中で有名になったのは、ムエックス一族が1962年にシャトー・ペトリュスを所有してからだ。醸造家のクリスチャン・ムエックスの貢献度が高く、良いワインを造る為に徹底した製法で造った結果だ。シャトー・ペトリュスが持っているぶどう畑は、周囲の畑と比べてもまったく違うと言っていいような土壌となっている。
このことが、メルローにとって最高の環境になっているのだ。ワイン評論家のロバート・パーカーの評価指数のパーカー・ポイントでは、シャトー・ペトリュスは100点をたくさんもらってきた。1921年、1929年、1947年、1961年、1989年、1990年、2000年、2009年、2010年が、パーカーポイントで100点を叩き出したのである。
シャトー・ペトリュスはセカンドワインは造らない
シャトー・ペトリュスはセカンドワインを造らないことでも有名だ。有名なボルドーワインは、セカンドワインだけではなく、サードワインまで造ることも珍しくない。シャトー・ペトリュスは畑が11.4ヘクタールしかなく、生産本数自体も年間で4500ケースほどなので、需要が圧倒的に高いわりに、供給が少ないので価値が上がっているのだ。
シャトー・ペトリュスに関する著名人とは
シャトー・ペトリュスは、1947年にエリザベス女王の挙式にワインを提供している。1953年にはエリザベス2世の即位式にもシャトー・ペトリュスを1ケース納めた。ニューヨークにあるレストランのル・パヴィヨンのオーナーのアンリ・ソールと一緒にアメリカにシャトー・ペトリュスを広めた。
海運王のオナシスがル・パヴィヨでシャトー・ペトリュスを飲んでいる姿が取り沙汰された。このイメージがシャトー・ペトリュスを飲むことをステイタスのような印象をあたえ、セレブに人気になっていったのは無視できない出来事だろう。
シャトー・ペトリュスの価格が高い理由
シャトー・ペトリュスと聞いて、まず高価なワインというイメージが出てくる方も多いのではないだろうか。どうしてシャトー・ペトリュスがここまでの価格になるのかを考えていただきたい。味がいいのは勿論のことなのだが、それだけではここまでの価格にはならない。
シャトー・ペトリュスのぶどう畑の面積は11ヘクタールほどだ。土壌が周囲のは他とは異なることは上述したとおりだ。メルローにかなりマッチしているこの土壌なくしてシャトー・ペトリュスは生まれない。
1956年にフランスに冷害が襲った。そのときにも生き抜いたぶどうの樹をベースにして植えられているのがこの畑のぶどうだ。シャトー・ペトリュスでは樹齢70年の樹を植え替えをせずに使っている。
クリスチャン・ムエックスのワインへのこだわりは物凄く、ワインの質を低下させないどころか、更に向上させるために、グリーンバーヴェストという手法を取り入れている。あえて収穫量を減らして未熟なものを間引くことで味わいを濃縮させるのだ。当然、ワインの生産本数は少なくなる。
生産数が少ない上に、パーカーポイントなどワインの有名な評論家たちがことごとく高い評価をくだした結果、希少価値が高くなり、現在のような価格になっている。
シャトー・ペトリュスの語源
シャトー・ペトリュスのペトリュスはラテン語だ。英語でいうところのピーター、フランス語でいうところのピエールと同じで、石という意味がある。ペトリュスにはもう一つ意味があって、十二使徒の聖ペテロという意味も含まれている。
このことから、シャトー・ペトリュスのラベルに聖ペテロの絵が描かれているのはこのような語源があるからだ。
シャトー・ペトリュス2011年とは
シャトー・ペトリュス2011年は上述した通り、11.4ヘクタールのシャトー・ペトリュスのぶどう畑で造られている。粘土質の土壌は、メルロー種を育てるのに最適な土壌だ。70年を迎えるまで植え替えることのない樹齢が高いメルローの樹を使っている。
収穫はすべて手作業、午後からおこなわれることとなっている。ここにもシャトー・ペトリュスのこだわりがあり、午後から収穫する理由は夜露がすべて蒸発してから収穫するためだ。夜露が混じると、熟した葡萄に不要な水分が混じることになる。これを防ぐためだ。
手作業で収穫したぶどうはセメント桶で醗酵する。その後、新樽で22~28ヶ月間熟成する。そしてフィルターをかけずに瓶詰めするという流れを辿る。
シャトー・ペトリュス2011年の相場
希少価値が高く、丁寧に造られているシャトー・ペトリュスだが、シャトー・ペトリュス2011年の相場はどのようになっているのだろうか。買取相場とおすすめな買取業者を紹介する。
シャトー・ペトリュス2011年の買取相場
シャトー・ペトリュス2011年の買取相場は110,000円~140,000円となっている。容量は750mlなので、非常に高価だがそれだけ人気があるということだ。上記に説明したことを踏まえて考えると、当然の買取相場なのかもしれない。
シャトー・ペトリュス2011年を求めているのは当然日本人だけではなく、海外にたくさんいると考えるとシャトー・ペトリュス2011年をお金を出せば日本で飲めること自体が幸せなことなのかもしれない。
おすすめの業者はワイン買取コンシェルジュ
買取価格
スピード
手数料
許可番号
ポリシー
ウイルス
対策
シャトー・ペトリュス2011年の売却先としておすすめの業者はワイン買取コンシェルジュ。ワインの買取に特化した査定のプロなので、安心して任せられるだろう。ワイン買取コンシェルジュは、ワインの買取のみに特化したプロフェッショナル集団と自負しているだけあって、ソムリエ資格保有者が在籍しているのはもちろんのこと、ワイン買取コンシェルジュ独自の厳しい研修を完了したお酒のプロフェッショナルだけがワインの査定をしてくれる。
あまりワインのことに詳しくない業者を売却先として選んでしまうと、正当な相場の値段で買い取ってくれない場合がある。このようなことを防ぐ為にも、ワイン買取コンシェルジュのようなプロフェッショナル集団に依頼するのがいい。ワイン専門の買取に特化しているため、複数の商品を取り扱うお店とはワインに関する知識が比べ物にならない。
以上のことが、ワイン買取コンシェルジュをおすすめする理由だ。
まとめ
希少価値の高いシャトー・ペトリュスは世界的に需要があるので、もはや資産と呼べるようなものになっている。もし、プレゼントなどで頂くことがあり、飲むのが勿体無いということであれば思い切って売却してみるのもいいのかもしれない。喉から手が出るほどシャトー・ペトリュスを欲しているワイン好きはたくさんいるからだ。
その際には、上記のおすすめの業者を参考にしていただきたい。買取相場が10万円以上すると知った上で、人生経験として飲んでみるというのもいいだろう。長い人生の中でも、なかなかこのレベルのワインを口に出来る機会はやってこないからだ。
飲むにしろ、売却するにしろ、シャトー・ペトリュス2011年を手にすることがあれば誇りに思っていい。シャトー・ペトリュス2011年が造られた年のことを調べて思いを馳せるのもいいだろう。人々がこれだけシャトー・ペトリュス2011年に熱狂するのには理由がある。
世の中にたくさんワインがある中で、群を抜いて希少価値が高いシャトー・ペトリュス2011年は、これからもワイン好きの心をくすぐり続けるだろう。