シャトー・ラフィット・ロートシルトは伝統と格付けに裏付けされた格式高いワインである。王のワインとの異名をとる。そんな高級ワインを手にして、一生の思い出に飲むのも手だが、専門的な場所に手放すときの参考になればと今回の記事をまとめた。より納得のいく方法を取れるようにして頂きたい。
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シャトー・ラフィット・ロートシルトとは
シャトー・ラフィット・ロートシルトは、メドック地区ポーイヤック村にある著名なボルドーワインのシャトーの名称、またそこで生産されている赤ワインの銘柄の名称である。メドックには第1級格付けワインが4つ存在しているが、シャトー・ラフィット・ロートシルトはその筆頭にあげられる。
名前にあるラフィットとは、もとは農園を意味している。語源はポーイヤック村の中で小高い丘に位置していたことから、古代ガスコーニュ語のLa Hite(小高いところ)が転じたといわれている。
シャトー・ラフィット・ロートシルトの歴史
シャトー・ラフィット・ロートシルトが脚光を浴び、世界最高水準のワインと呼ばれる歴史やボルドーワインの格付けについてふれていく。
シャトー・ラフィット・ロートシルトが脚光を浴びるまで
ブドウの生産は中世からおこなわれていたが、17世紀になりセギュール家が所有者となることで転換点を迎えた。セギュール家のジャック・ド・セギュールが、1670年代から80年代にかけてブドウ畑を拡大、ワイン生産に本格的に取り組みはじめた。のちに、セギュール侯爵がワインの生産を改善し、ヨーロッパ諸国の貴族層へ販路を拡大。それにともないブドウ園の王子と通称されるまでになった。
当時、ボルドーワインはイギリスで主に消費されていた。時の首相ロバート・ウォルポールはワイン好きとして知られてた。その消費量はすさまじく、ワイン瓶を月に100本ほど空けるといわれる。一方で、フランス内でのボルドーワインは田舎というイメージを持たれ、愛飲されていたのはブルゴーニュワインであった。
そんなボルドーワインが脚光を浴びるきっかけとなったのはルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人である。彼女はワインを王に献上するためにブルゴーニュの有名な畑を手に入れようとしたが失敗してしまう。その代替として、彼女はボルドーワインのシャトー・ラフィットをすすめられた。シャトー・ラフィットを気に入ったポンパドゥール夫人は、ヴェルサイユ宮殿の晩餐会で愛飲するようになり、これをきっかけにボルドーワインは宮廷で脚光を浴びるようになっていった。
シャトー・ラフィット・ロートシルトの苦難
ブドウ園の王子と呼ばれたセギュール侯爵には男子がいなかった。そのため、持っている財産は4人の娘に分配された。ラニコラ・マリー・アレキサンドル・ド・セギュールがラフィットを相続したが、莫大な借金に追われ、親戚の手に移ることになる。その親戚とはニコラ・ピエール・ド・ピシャールであるが、彼はギロチン送りとなり、ラフィットはまた所有者を失う。
その後、転々と所有者が変わっていき19世紀前半にオランダ商人のヴィンテーンベルグ家にて落ち着いた。そんな不遇な時期を過ごしていたラフィットであるが、その間も脈々とワイン造りは継続されており、1855年のパリ万国博覧会では最高評価を受けた。その後1868年、ロスチャイルド財閥創始者であるジャコブ・マイエール・ド・ロチルドが、シャトー・ラフィットを大金で競り落とし、所有者となった。
このときにシャトー・ラフィットは現在のシャトー・ラフィット・ロートシルトと改名され、ロスチャイルド家に引き継がれた。シャトー・ラフィット・ロートシルトはやっと安定の時代を迎えたかのように思われるが、そうではない。19世紀末から20世紀末の激動の世界に合わせるように、シャトー・ラフィット・ロートシルトもまた苦難をむかえる。第一次世界大戦では働き手の不足、大恐慌ではワイン市場そのものが底値をむかえてしまう。
第二次世界大戦ではフランスがドイツ軍によって占領されたため、フランス国内で生産されていたラフィットはロスチャイルドの所有であることを理由に解散させられた。1945年末、やっとのことでエリー・ド・ロッチルド男爵がラフィットの所有権をロスチャイルド財閥に取り戻し、シャトーの再生を目論んだ。しかしエリー・ド・ロッチルド男爵がおこなったシャトーの再生はお世辞にも成功したとはいいがたい。
その後1974年にエリーの甥であるエリック・ド・ロッチルド男爵が事業を継承して以来、その名声を回復したといえるだろう。現在は、シャルル・シュヴァリエのが醸造責任者となり、ワインの王とも呼ばれる世界最高水準のワインを生み出している。
ボルドーワインの格付けに対する批判
メドック格付けシャトーとは1855年のパリ万国博覧会においてボルドー商工会議所の依頼によりボルドーの仲買人が作成したものである。ときの皇帝ナポレオン3世は、博覧会に集まる訪問客に向けて、フランスのボルドーワインにわかりやすいラベルが必要だと考えた。そこで、ワイン仲買人に当時の市場価格や評判などに従ってワインをランク付けさせた。その結果が、1855年からのボルドーワインの公式格付けとなった。
各部門でさまざまなワインが格付けされたが発表された1855年から現在にいたるまで、変更されたのはたったの2回だけである。1855年の格付け以降、いくつかのワイナリーのブドウ園において変更があった。具体的にはブドウ園が拡大や分割、所有者の変更などがあり、味の変化なども指摘された。しかしシャトーの格付けは変更されなかった。
ワイン評論家は、この事実を踏まえ時代遅れになっていると指摘。時代に即していないとして格付けの変更にむけて提案をおこない、1960年には改定を試みたが挫折した。改定されないことに対して、ワイン批評家たちは独自に非公式の格付けを何度か発表している。
その1人がパーカー・ポイントで有名なロバート・パーカーだ。彼は伝統や格式を重んじる従来の格付けに反し、純粋に味や風味に重点を置いてワインを評価し、ボルドー100選を発表した。しかし、最終的に独自の格付けは成功しなかった。シャトーの格付けは変更されず、価格にも反映されなかった。
シャトー・ラフィット・ロートシルトの生産に対するこだわり
ワインの王と呼ばれるシャトー・ラフィット・ロートシルトは、その異名に納得できるほど、生産段階からいろいろなこだわりが垣間見える。
シャトー・ラフィット・ロートシルトに使われるブドウ
ラフィットの生産に使われるブドウ畑はおよそ104haほどの広さである。ブドウの構成は、メドックの主要品種であるカベルネ・ソーヴィニョンが70%、メルローが25%、カベルネ・フランが3%、プティ・ヴェルドが2%となっている。
樹齢が100年以上のブドウも存在している。熟成したブドウは、300人の人により手で1つ1つ収穫され、シャトースタッフが選果している。選果には技術と経験が必要なため、熟練したシャトーのスタッフがこの責任ある仕事をうけおっている。
樽にまで及ぶこだわり
シャトー・ラフィット・ロートシルトでは使用する樽をすべて自社で賄っている。自社製の樽工場を持つものはいくつかみられるが、100%自社製のみというシャトーはラフィットをのぞいて存在しない。
樽のクオリティはワインの風味と密接に関係している。そのため、シャトー・ラフィット・ロートシルトはブドウの生産、ワイン製造だけではなくそれを保存する樽にまで気を配っている。現在では6人の職人が、シャトー・ラフィット・ロートシルトのワインづくりを支え続けている。
こだわりのある熟成場所
熟成には18~20カ月が必要とされる。そのうち7カ月間は、1年目の樽貯蔵庫に置かれ、残りの期間はラフィットの有名な円形樽貯蔵庫に移動される。ここでは3カ月に1度、澱(オリ)引きと呼ばれる作業がおこなわれている。澱引きとは、タンクの底部にたまる澱と上澄みを分別する工程のことである。
シャトー・ラフィット・ロートシルトの特徴・魅力
シャトー・ラフィット・ロートシルトは100年以上も続く伝統あるワインであり、また王のワインとも呼ばれ、他の追随を許さない。また、10~20年間熟成をさせることで、より味わいが複雑に優雅なワインへと進化する。
シャトー・ラフィット・ロートシルトの、伝統への回帰
シャトー・ラフィット・ロートシルトが100年以上もの伝統あるワインであるということは先に述べた。また、シャトー・ラフィット・ロートシルは味をまもるため、現代的な技術を減らし、農作業も人の手により収穫をおこなっている。また醸造中にステンレスタンクを使用しているが、今後はより伝統的な方法に回帰していくことを検討しているという。
このようにシャトー・ラフィット・ロートシルトは、味わいや伝統の長さだけではなく、王のワインと呼ばれるほどのプライドと伝統を守るための工夫が随所にほどこされたワインなのである。
シャトー・ラフィット・ロートシルトのセカンドラベル
そんな伝統と格式あるボルドーワイン、シャトー・ラフィット・ロートシルトだが、セカンドラベルが存在している。セカンドラベルはファーストラベルで使用されないブドウで製造されるワインのことである。
ファーストラベル(この場合ではシャトー・ラフィット・ロートシルト)とブドウの種類は異なるが作り手が同一であること、それからファーストラベルの製造方法や個性を生かしており、価格も手ごろである。
ファーストラベルよりも飲みやすいため、シャトー・ラフィット・ロートシルトの風を感じるにはセカンドラベルに手をだしてもいいかもしれない。
ワインの保存方法について
ワインは生き物に例えられるように、温度や湿度など周りの環境に敏感である。ほんの少しの変化や不適切な環境ではせっかくの風味が損なわれてしまう。ビンテージワインは20年前後の熟成を経て飲み頃となる。シャトー・ラフィット・ロートシルトをせっかく手にしても、保管方法を知らないがために台無しにしてしまうことは避けたい。
ワインの保存に重要な因子は温度、湿度、光の3つと言われている。振動やワインの置き方など細かい話はあるが、ここで3つの要因について説明をしていく。
温度管理
保存でもっとも重要視されるのが温度である。13~15度が適正だと考えられ、なおかつ温度差の少ない場所での保管が望まれる。
ワインは保存している期間にも熟成が進むため、冷蔵庫の中のようにあまりにも冷えすぎる場所は不適切であるし、30度をこえる環境ではワインが煮え始めるともいわれている。ワインの保管には、人間が過ごすよりももっと繊細で厳密なコントロールが必要なのだ。
湿度管理
次に重要視されるのが湿度である。温度が下がるごとに湿度も下がっていくがワインの保管に必要な湿度は65~80%と比較的高湿度である。
理由として、湿度の低い乾燥した場所で保管しているとコルクが収縮してしまい、ボトルの中へ空気の侵入を許す。すると結果としてワインの酸化が起こり、風味を損ねてしまうためである。ワインの保管をおこなっていると外装にカビなどが発生することもあるが、これはワインが適切な管理をされてきた証拠でもある。
光の管理
ワインにとって光は大敵である。光はワインのボトルを通過し、還元臭と呼ばれる独特のにおいの元になる。中でも紫外線対策には気を配る必要がある。明るい室内や窓際での保管などもってのほかだ。
ワインは光を避け、暗い場所で保管するのが鉄則である。手軽にそういった環境を用意できないのであれば、一時的な対策としてワインボトルを新聞紙でくるむことが有効だろう。ただしあくまで応急処置なので、早急に適した環境への保存が望まれる。
シャトー・ラフィット・ロートシルトの買取相場
シャトー・ラフィット・ロートシルトを手にした場合、いくらで手放すのが妥当なのだろうか。シャトー・ラフィット・ロートシルトは若いビンテージでも市場に流通することが稀であるから、適正な市場価格というのが把握しづらい。
そこで、適正な価格を知るために、複数の業者に査定を依頼することが必要となる。今回はそんなシャトー・ラフィット・ロートシルトを査定できる業者を紹介する。
ワインの保管状況にもよるが、買取相場は95,000~120,000円程度のようだ。シャトー・ラフィット・ロートシルト2001年のブレンド比率はカベルネ・ソーヴィニョン86.5%、メルロー13.5%となっている。飲み頃は2007年から2020年となっており、手放すのはちょうどいい時期かもしれない。
ファイブニーズ
買取価格
スピード
手数料
許可番号
ポリシー
ウイルス
対策
ファイブニーズは、お酒の買取を専門としている業者である。シャトー・ラフィット・ロートシルトのような高価なワインは買取査定を嫌がる業者も多い。紹介しているファイブニーズでは、ワインの最高買取金額が120万円とシャトー・ラフィット・ロートシルトの買取をおこなうことができる土壌がある。
また、出張買取・宅配買取などで利用しやすい点もメリットである。店舗買取は東京、仙台、神奈川、愛知、大阪、福岡に店舗があるので、自宅から近い場所を確認しよう。無料見積もりを依頼後、店に持ち込むことでスムーズな取引ができる。
フードマインドジャパン
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対策
フードマインドジャパンは、ワイン輸入をおこなっている会社のワイン買取部門となっている。会社にソムリエが在籍していたり、高級ブルゴーニュや高級ボルドーワインの買取に自信を持っている。また、高額ワインに起こりうる偽物対策をしっかりおこなっている点も評価できる。会社として入手経路や勤務先への確認をおこなっている。
ワインの状態は専門家のソムリエがしっかりと審査してくれるので、シャトー・ラフィット・ロートシルトのような伝統と格式があるワインの査定にはうってつけである。買取方法は、出張買取、店頭買取、宅配買取の中から選ぶことができる。自分にもっとも使いやすい方法を選ぼう。
まとめ
シャトー・ラフィット・ロートシルトは伝統と格付けに裏付けされた、非の打ちどころのない素晴らしいワインである。幸運にもそのボトルを手にしたのであれば、味わうのも1つである。しかし、ワインに飲みなれていない場合やワインの保管環境が整っていない場合などは、より専門的な場所へ譲るのがいいだろう。
せっかくのビンテージワインもずさんな管理では価値を落としてしまう。今回はそんな業者を紹介したので、すばやく納得のいく取引になるための参考にしていただければ幸いである。