三郎丸 1990 カスクストレングスというお酒は歴史ある蒸溜所で作られている。原材料に自家蒸留モルトを使用し、容量は500ml、アルコール度数は59度で25,000円で販売された。現在は完売しているので公式ホームページから購入することはできない。
スモーキーな味わいでピーティーな飲み口と言われている三郎丸 1990 カスクストレングスを一度飲んでみたいと思いながらなかなか飲めていないというウイスキーファンも多いのではないだろうか。今回は三郎丸について徹底的に解説していきたい。後半では三郎丸 1990 カスクストレングスを購入するためにはどうしたら良いのかについても触れているのでぜひ最後まで読み進めてほしい。
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三郎丸とは
三郎丸1990の三郎丸とは蒸溜所の名前だ。北陸にある唯一のウイスキーの蒸留所として存在している。三郎丸蒸留所は若鶴酒造のウイスキーづくりの原点としても知られている。
蒸溜所がある地域の水や環境はウイスキーの味に大きく影響する。風土が三郎丸蒸溜所で製造されるウイスキーの味を大きく変えているのだ。
富山で世界に愛されるウイスキーを生み出したいという強い想いを持って製造されている。三郎丸蒸溜所は見学もできる。五感で感じることができると自負しているウイスキーの魅力を味わいに行ってみてほしい。
三郎丸蒸溜所の製造工程と施設
三郎丸蒸溜所の製造工程を通して、施設を見ていこう。ウイスキーの製造工程を知らない方にとっては参考になるはずだ。
二条大麦のデンプンを糖に変えてアルコールを生み出す
モルトウイスキーのモルトとは、大麦のことだ。三郎丸蒸溜所で使っている原料は、大麦の中でも二条大麦というものを使っている。
二条大麦の種にはデンプンが入っている。そのデンプンがアルコールを生み出すのだ。すぐにデンプンがそのままアルコールに変化するのではなく、まずはデンプンを糖に変えるという工程が必要になってくる。
では、どのように大麦のデンプンを糖に変えるのかというと、2日~3日程水に付けておくと、大麦が発芽してこのときに酵素が生成される。この酵素こそが、大麦のデンプンを糖に変える働きをするのだ。そのままいつまでも成長させれば良いというものではなく、発芽はある程度のところで止めなければならない。発芽の成長を止めたら今度は乾燥させるという工程に入り、水分を大麦が吸収するのをストップさせる。
ピートや石炭を発芽大麦の下で熱して乾かす。熱風を使って発芽大麦の水分を飛ばすのだ。これは単純に乾かすという行為だけではなく、発芽大麦にスモーキーな匂いをつけるという意味も含まれている。
乾燥させ終わった発芽大麦がいわゆるシングルモルトウイスキーのモルトの部分にあたるものだ。三郎丸蒸留所のモルトはウイスキーの本場のイギリスから輸入されている。
モルトミルで糖化しやすくする
モルトミルとは粉砕機のことだ。こちらの工程では、モルトを糖化しやすくすることが目的となっている。モルトミルを使ってモルトを粉砕すると、モルトは糖化しやすくなるのだ。
モルトは挽いたばかりの方が酵素力が強い。酵素力が強いとどのようなメリットが生まれるのかというと、分かりやすい結果としては、より香りが良い状態での麦芽から糖化ができることだ。
ウイスキーの本場のスコットランドでも多く使われているアランラドック社のAR2000を三郎丸蒸溜所でも使っている。世界的に実績があるモルトミルなので、ウイスキー好きの方は施設見学をする際には一見の価値ありだ。
糖化タンクで撹拌する
次の工程は、モルトミルで粉砕したモルトと温水を撹拌するという作業だ。糖化タンクというタンクを使い、混ぜ合わせてモルトを糖化させる。糖化タンクはマッシュタンと呼ばれることもある。
酵素が作用して麦芽はデンプン質を糖分に変える。粉砕したモルトと温水が混ぜ合わさり、糖化が完了したものを糖液と呼ぶ。糖液をろ過することでウォートを抽出できる。ウォートの味は糖化が完了しているので当然甘い。
この時点の甘さは糖度で言えば約20度にもなる。しかし、ここで終わりではなくもっと糖化させていく。2回目に使う仕込み水は1回目に使った仕込み水よりも高い温度の物を使う。そうすることでより糖化させることができるのだ。
発酵槽で発酵させる
次の工程では、まず麦汁の温度が下がるのを待つ。良い感じに温度が下がった所で醸酵槽に移し発酵槽に酵母を入れて醸酵させる。
酵母を加えることで、酵母は麦汁の中の糖分を分解する。糖分はアルコールと炭酸ガスに変化する。この工程でウイスキーらしいなんとも芳しい匂いの成分が生み出される。
発酵は3日程おこなう。発酵が完了した状態でアルコール度数は約7%にもなり、この時点で発酵液ができ上がる。発酵液は醪とウォッシュで構成される。
ポットスチルで2回蒸留をする
ウイスキーにおいて重要だと言われている工程が蒸留だ。ポットスチルで2回蒸留する。ポットスチルとは、銅でできた単式蒸留器だ。
冷却したり液体化させることでウイスキーに必要なアルコールやウイスキー特有の匂いの成分を抽出する。ウィスキーの樽熟成前の原酒はニューポットと呼ばれるが、ニューポットはこうして作られる。このニューポットのアルコール度数は約70度にもなる。
樽貯蔵庫で熟成させる
上述した通り、ニューポットのアルコール度数は約70%程だ。樽熟成をしようと考えたときに少しアルコール度数が高い。そのような理由から、ちょうど良いアルコール度数にするために仕込み水を加水していく。最適なアルコール度数は約63.5%と言われている。
樽の中で何が起きているのかというと、長い時間をかけて酸素と水とアルコールが混ざっていく。樽を熟成に使うのにはちゃんと理由があり、樽に含まれている成分をウイスキーが吸収することも味を形成していく上で重要な要素となる。
ニューポットの段階では無色透明な液体だが、ウイスキーと呼ばれる熟成した状態になると美しい琥珀色に変化していく。一般的に熟成期間は3年からと言われている。何十年も熟成するものもあるが、長期熟成すれば必ず全て美味しくなるというものでもないので好みは把握しておきたい。
若鶴酒造には四季や温度の変化の影響を受ける自然熟成庫と、年中低温で温度管理されている低温熟成庫がある。この2つの熟成庫のそれぞれの特徴を最大限に活かしてウイスキーの熟成をおこなっている。
個性を引き出すブレンド
樽ごとにウイスキーの味は大きく違う。同じような環境で作ったとしても樽によって味は微妙に変わってしまう。熟成のピークも樽ごとに違うので、しっかりと見極めることが大切だ。
2階は展示スペースになっている
施設の1階は今説明したような工程をおこなえる場所になっている。2階は展示スペースになっているので訪れた際にはじっくり見てみてほしい。
三郎丸蒸留所のこだわり
若鶴酒造は冬には日本酒を仕込んでいる。ウイスキーを作るのは夏だ。ヘビーピーテッドの麦芽にこだわってウイスキーをつくっている。細かくこだわりを見ていこう。
イギリス産の麦芽を使用
イギリス産の麦芽を使用することにこだわっている。若鶴酒造では昔からヘビーピーテッドのモルトだけを使っている。そうすることによって、スモーキーな仕上がりのウイスキーになるのだ。
エール酵母とウイスキー酵母を混合発酵させる
酵母はエール酵母とウイスキー酵母を使っている。この2つの酵母を混合発酵させてフルーティーな香りになるようにしている。富山県で発見された酵母を使うことで、個性を出している。大学と共同研究しているのも面白い点だ。
庄川の伏流水を使用
水にも大きなこだわりがある。砺波平野の庄川があり、比較的水資源としては豊かな土地だ。三郎丸蒸留所がある富山県砺波市三郎丸の庄川の水の源流は烏帽子だ。若鶴酒造は昔から良酒は良水から生まれる、というこだわりを大切にしてきた。庄川の地下水を仕込水として使っていることに確かな自信を持っている。
深井戸を掘削した昭和2年は不況の時代であったが巨額の資金を投じて掘削をおこなった。その結果、庄川の伏流水を使用できることで品質が良くなったと実感している。金融大恐慌と呼ばれる時代においても水へのこだわりを持ち続け、資金をなんとか確保したからこそ今の若鶏酒造があると言っても過言ではない。
さまざまな種類の樽を用意している
昔はポートワインを製造していたので、その頃には山梨からワインを樽ごと購入していた。ワインの空き樽で熟成をおこなっていたのだ。現在はさまざまな樽を用意している。バーボン樽、シェリー樽、赤ワイン樽など多岐にわたる。
若鶏酒造株式会社の歴史
三郎丸蒸溜所は1952年に製造を開始した。長年受け継がれてきた製法を活かし、材料にこだわって今もウイスキーを作り続けている。
不況の中、巨額の資金を投じて水にこだわる
1927年は昭和金融恐慌の時代で、日本は全国的に経済不況に陥っていた。そんな大変な時期に2代目社長の稲垣小太郎は、現状維持を選ぶのではなく積極的に不況を乗り切るための具体的な施策を考えていた。今のままのお酒を提供し続けるのではなく、厳しい時代だからこそ手ごろな価格で、お酒の品質をさらに向上しようと考えたのだ。
灘・伏見の酒造郷を視察したときに転機が訪れる。このとき感じたことが後の若鶏酒造に大きく影響する。質の高い伏流水から生まれるお酒を飲んで、その味に感銘を受けた。日本が全国的に不況に陥っている中、巨額の資金を投じて深井戸を掘削したのだ。
このことにより、若鶴酒造の清酒は明らかに品質が高まった。その結果、若鶏酒造の清酒の需要は伸びていくことになる。
菊芋でお酒を作る
1939年は第二次世界大戦が始まった年だ。戦時中ということもあり、米が統制されてしまった。このことにより、酒造業界全体が厳しい状況に陥ってしまう。
そんな最中、1945年に富山大空襲が起きてしまい、空襲の影響で若鶴酒造の清酒の生産高が激減してしまう。このままではダメだと思った稲垣小太郎は、米が統制されたなら米以外の原料からアルコールを作れば良いと思い立ち、1947年に若鶴醗酵研究所を設立する。
それから蒸留酒の製造の研究が始まった。なにせ、米以外の原料からアルコールを作り出したことなど無かったため、技術者を探す所からのスタードだった。困難に思われた研究だったが、一つの出会いで大きく流れが変わる。深沢重敏との出会いだ。
深沢重敏の特筆すべき経歴は、キッコーマンの工場長を務めたことだ。その経験から、発酵についてはかなり知識を持っていた。深沢重敏の知識を使ってもらうために、深沢重敏を技師として迎え入れた。そして1947年に若鶴醗酵研究所が設立されたのだ。
どうにか統制されている米以外からアルコールを取り出さなければならない。統制外の菊芋を栽培してアルコールを取り出す研究をスタートした。1949年に焼酎の免許を取得する。
1950年には雑酒の製造免許を取得、1952年にウイスキーと甘味果実酒の製造免許を取得した。このことにより、若鶏酒造の本格的な蒸留酒の生産がスタートした。
前途多難な1950年台
1953年に待望の若鶴酒造初のウイスキーが発売された。サンシャインウイスキーという名前で販売されて好スタートを切ったと思いきや、同年に蒸留室からの出火が原因で火災になってしまい、約635坪を全焼するという大惨事に見舞われてしまう。
落ち込んでいる暇もなく工場を再建して再出発した。1954年にアロスパス式蒸留器を導入する。
最近の三郎丸蒸溜所
2016年に三郎丸蒸留所改修プロジェクトを立ち上げる。2017年には北陸でただひとつの見学のできるウイスキー蒸留所として改修が完了した。いろいろあったが、現在も若鶏酒造は歩みを止めること無く前向きに進み続けている。
三郎丸1990の「1990」の意味
ウイスキーに詳しくない人からすると、三郎丸1990の1990とはどういう意味なのだろうと疑問に思うだろう。これは、蒸留した年が1990年だったという意味だ。三郎丸1990という名前から三郎丸蒸溜所で1990年に作ったものだと分かる。
シングルモルトとは
シングルモルトという響きは聞いたことがあるが、実際どういう意味なのか分かっていない方もいるかもしれない。一言でいえば、単一の蒸溜所で作られたウイスキーがシングルモルトだ。
カクストレングスとは
カスクトレングスとはどういう意味なのだろうか。カスクは樽という意味でストレングスは強いという意味である。つまり、樽由来の風味が強いものに対してカスクストレングスと呼ぶ。樽によって個性が出るので樽の風味を楽しみたいときはカスクストレングスを選ぼう。
三郎丸1990の相場について
現在、三郎丸1990の具体的な買取価格を公表している買取業者は見あたらない。買取に応じる旨の記載がある買取業者のサイトは目にするのだが、相場を知れるようなサイトは見あたらなかった。
では、フリマサイトのメルカリはどうか。30,000円~50,000円の間で取引されている。ヤフオクでは45,000円で落札されているので、やはりこれくらいの価格帯が相場と言えそうだ。
まとめ
三郎丸1990の定価が25,000円で相場が30,000円~50,000円ということを考えると、プレミアム価格になっているのは明らかだ。しかし、手が届かないほどの価格ではないので、見かけたら購入してみるのもいいかもしれない。
手元にある方は、このような相場になっているので、飲む予定がないのであれば売却を検討してみることをおすすめする。売却をする際は買取業者に相談してみるのが良いだろう。それからメリカリやヤフオクと値段を比較して売却先を検討することをおすすめする。