ボルドー5大シャトーの筆頭にあげられるシャトー・ラフィット・ロートシルト。しかもその評判はすでに18世紀には定まっており、老舗舗中の老舗といえる。生産者としてもいたずらな効率化や派手なマーケティングを拒み、高い質を維持し続けてきた。特に2000年はシャトー・ラフィット・ロートシルトのあたり年とされ、ワイン評論家の評価も市場の値付けも非常に高い。
かつて、王のワインと称されさえしたシャトー・ラフィット・ロートシルトの歴史をたどり、ワインのヴィンテージやあたり年について解説しながら、シャトー・ラフィット・ロートシルト 2000年の相場を見ていくことにしよう。
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シャトー・ラフィット・ロートシルト
ラフィットは農園の名として中世の文献にも載る。ワイン生産者としてのシャトー・ラフィットの名は18世紀の葡萄(ぶどう)の王子ニコラ・アレキサンドル・ド・セギュール侯爵の代に広く知れ渡り、19世紀のパリ万国博覧会で不動の地位を確立する。その後ロートシルト(ロスチャイルド)系一家の所有となり現在の名を得る。
19世紀後半から20世紀前半にかけて害虫被害や2つの大戦による混乱を経験するが、戦後は名声を取り戻し、21世紀の今もボルドー、ひいてはフランスを代表するシャトーであり続けている。ここではシャトー・ラフィット・ロートシルトの歴史を簡単に追ってみよう。
葡萄の王子
現在にいたるシャトー・ラフィット・ロートシルトの評価のいしずえが築かれたのは、セギュール家がラフィットの所有者となり葡萄栽培とワイン生産を本格的に開始した17世紀のことだ。さらに王のワインと呼び習わされるまでにシャトー・ラフィットの名声を高めたのが18世紀に土地を相続したニコラ・アレキサンドル・ド・セギュール侯爵だ。
彼はワイン生産とマーケティングの両面で旺盛な活躍を示し葡萄の王子と呼ばれた。葡萄の王子は領地のワイン畑を土壌などの特性に応じて細かく区切り、それぞれの区域を独立したシャトーとして管理した。
後の時代にはあたりまえとなるこの手法は当時としては革新的な取り組みであった。また、ヨーロッパ各国の王侯貴族に売り込みをかけ、シャトー・ラフィットを浸透させることに成功する。
ボルドーワインと英仏貴族
17~18世紀にかけてのボルドーワインの市場はなんといってもイギリスの貴族層であった。これはコニャックの状況と同様で歴史的・地理的な事情が大きく絡んでいる。シャトー・ラフィットの属するメドック地区はボルドーの顔役で、それは今も変わらない。
シャトー・ラフィットの著名な顧客としてはときの大政治家ロバート・ウォルポールなどがいる。一方フランス王朝ではブルゴーニュワインの人気が先行していたが、18世紀後半にはボルドーワインが脚光を浴びる。一説によるとそのきっかけを作ったのはときの王ルイ15世の寵姫、ポンパドール夫人だった。
彼女は美貌に恵まれていただけではなく、芸術への理解を持ち、政治的手腕にも光るものをもった才媛で政治に疎いルイ15世に代わって陰の実力者として権勢をふるった。シャトー・ラフィットはそんな彼女のお気に入りとなり、彼女を通してルイ15世を初めとするフランス王侯貴族に広まり、王のワインと呼ばれるようになったという。
アメリカ建国の父もお気に入り
アメリカ建国の父の1人トーマス・ジェファーソンは18世紀末にフランス公使としてパリに駐在し、上流社会と交わるなかでシャトー・ラフィットを愛飲した。彼はアメリカでのワイン造りを目指して研究と情報収集をおこなったが、参考にすべき最も重要なワインとして選んだ4銘柄のなかにシャトー・ラフィットも含まれていた。
パリ万国博覧会で第1級の第1位に
フランス革命後も評価が落ちることはなく、19世紀初頭には著名なワイン業者が公表した格付けでメドックで最も優れたワインという評価を得ている。イギリスで始まった産業革命が各国に拡大し、19世紀には商品の生産と流通が爆発的に増加した。そうした流れの象徴とも言えるのが万国博覧会だ。
第1回のロンドンを皮切りにニューヨーク、パリなどの大都市で繰り返し開催された。パリで初めて万国博覧会が開催された1855年に皇帝ナポレオン3世の発令でボルドーワインに対して公式に格付けがおこなわれ、シャトー・ラフィット、シャトー・ラトゥール、シャトー・マルゴー、シャトー・オー・ブリオンの4シャトーが第1級に選ばれた。
そしてシャトー・ラフィットはその筆頭、第1級の第1位とされた。この4つのシャトーはその後も第1級であり続け、1973年に第1級に加わったシャトー・ムートン・ロートシルトとあわせてボルドー5大シャトーと称される。
フィロキセラによる葡萄畑の全滅
1868年には所有権がロートシルト家に渡り、シャトー・ラフィット・ロートシルトと呼ばれるようになる。好景気にわくヨーロッパでシャトー・ラフィットを含む、メドックワインの需要は拡大したが、そこに死神の鎌のように振り下ろされたのがフィロキセラによる虫害だ。
この寄生虫は葡萄の苗木と一緒にアメリカから渡ってきたと言われ、フランス全土にまたたく間に広まって葡萄畑を壊滅状態に陥らせた。数々の試みが無駄に終わった末に、フィロキセラに耐性のあるアメリカの品種を台木にしてヨーロッパ種を接木するという手法で虫害は終息した。
シャトーの低迷、戦後の復活
シャトー・ラフィット・ロートシルトはその後も、うどん粉病、ベド病の被害や組織的な産地偽造による損失を被り、第1次大戦と大恐慌の影響もあって前例のない経営難に陥った。第2次大戦ではフランスがドイツ軍に占領され、シャトーはロートシルト(ロスチャイルド)家がユダヤ系であるという理由で閉鎖させられ、略奪にあった。
戦後はロートシルト家の後裔が所有権を取り戻し葡萄畑と生産体制の復活に努めた。伝統の味を守るために新しい手法も取り入れ、アメリカ市場の開拓などもおこないながら、第1級の名声を挽回していく。
特徴とヴィンテージ
シャトー・ラフィットでは化学肥料や除草剤の類の使用は最小限に抑えられており、作業の多くが人手に任されている。こうしたやり方は伝統の味わいを守るのには有効だが、年による出来不出来の影響を被りやすい。したがってヴィンテージにより評価と相場に大きな差が出る。ここではシャトー・ラフィット・ロートシルトの製法の特徴とワイン一般にまつわるヴィンテージの問題を解説しよう。
シャトー・ラフィット・ロートシルトの製法
栽培されている葡萄品種の構成は、カベルネ・ソーヴィニヨン70%、メルロー25%、カベルネ・フラン3%、プティ・ヴェルド2%。シャトー・ラフィット・ロートシルトの原酒はカベルネ・ソーヴィニヨンが主体になるが、その年の葡萄と原酒の出来不出来により各品種の配合は変わる。2000年はカベルネ・ソーヴィニヨンの割合が、例年より多く93.3%。
収穫は300人を動員して手摘みでおこなわれ、実の選別はシャトー専属の熟練スタッフが担当する。発酵にはリムーザン産オーク樽とステンレス樽が併用されるが、近年は伝統回帰の方針でオーク樽発酵の割合が増えている。熟成にも同様の樽が用いられる。
樽は外部から調達するのではなく自社で製造している。他にも樽の自社製造をおこなっているシャトーは少数ながら存在するが、100%自社でまかなっているのはシャトー・ラフィット・ロートシルトだけだ。
ワインのヴィンテージとは
ヴィンテージという言葉はワイン用ブドウの収穫を意味するフランス語が語源で、ワイン関係では原酒のブドウが収穫された年を指すのが基本だ。そして特にできの優れた年を指して、あたり年といい、その年のワインをヴィンテージ・ワインという(年代物のワインという意味ではない)。
ヴィンテージを表示する意味
ワインの格付けでは、どこで収穫・発酵・熟成されたかが、狭く特定されるほど条件が厳しく格が上がる。国よりも地方、地方よりも地区、地区よりも村、という具合で、もっとも狭いのがシャトー(または畑)だ。同様にヴィンテージが表示されるということは原酒がいつ作られたかがピンポイントで特定されるということで、そうした透明性が品質保証として機能する。
年による出来不出来も大きな話題になり、楽しみ(あるいは消費価値)となる。それにどんなに不出来な年であれ、水準以上のワインを生み出すのが名シャトーというものだ。ごまかしのきかないところで醸造家たちは質を競ってきたのである。
シャトー・ラフィット・ロートシルトのヴィンテージ
1980年以降で見ると1982年と2000年がとりわけあたり年とされている。著名なワイン評論家ロバート・パーカーは両者に100点満点を与えている(彼の評点はパーカーポイントと呼ばれ、しばしば参照される)。それに次ぐのが1981年、1986年、2003年だ。あとで見るようにヴィンテージにより買取相場には数倍の違いが出てくる。
買取業者とヤフオクでの相場
買取業者とヤフオクとにわけて相場を見ていこう。売りどきや業者とヤフオクのどちらで売るかという問題も取り上げる。以下の価格情報は2019年5月25日現在で得られたものである。
業者の買取価格
酒買取専門のスパナではシャトー・ラフィット・ロートシルト 2000年の参考買取価格が80,000円となっている。一方、総合買取業者の大黒屋の買取価格表では上限が115,000円だ。
ちなみに大黒屋の価格表で他のヴィンテージを見てみると1982年が上限185,000円、1986年が上限70,000円などとなっている。あたり年以外の価格は40,000円前後から50,000円程度である。
ヤフオクの落札価格
2018年3月から2019年4月の1年間にヤフオクではシャトー・ラフィット・ロートシルト 2000年が92件落札されている。そのうち1500mlのボトル(267,012円で落札)とラベル汚損・目減りなどのある訳あり品(50,000円で落札)を除くと落札価格は128,012円~165,000円だ。130,000円台後半から140,000円台の落札がほとんどで、相場は非常に安定しているという印象を受ける。
2000年の売りどきは?
前述のパーカー氏によるとシャトー・ラフィット・ロートシルト 2000年の飲み頃は2010年から2050年頃となっている。現在は飲み頃の初期にあたるわけだ。飲み頃というのはワインが熟成しきってから劣化が始まるまでの間を言う。
赤ワインは何年でも熟成を続けるという誤解があるが、実際には頭打ちがあり、いずれはどのように保存しようが劣化が始まってしまう。良質のワインほど熟成しきるまでに時間がかかり、熟成しきってから劣化を始めるまでの期間も長いとは言える。
シャトー・ラフィット・ロートシルト 2000年はすでに飲み頃に入っており、あと数十年はもつから今は売りどきだと言えるだろう。だが年を経るほどに同ヴィンテージの本数は減っていくと考えられるから、希少性の高まりを期待して待つのも手だ。ただし保管方法には十分注意しなければならない。
まとめ
大黒屋の買取上限価格と比較するとヤフオクの落札価格は2割~3割増しが相場だ。ただしワインの保管や管理にはある程度の専門知識や保管設備が必要であるためか、高級ワインの出品はほとんどが業者かセミプロによるもので一般の素人には敷居が高い。過去の取引実績も必要だし、手間やリスクはかなり重いと言える。
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