夏目漱石の死没から1世紀となった2016年には、彼と親交の深かった画家・津田青楓についてもさまざまなところで高い注目が集まっている。またこうした話題性が作品の価値にも僅かに影響する部分もあるため、津田青楓の掛け軸に高価買取実績が豊富な実情も時代の流れに大きく関係していると捉えて良いだろう。
今回は、日本画家としてかなり波乱万丈な人生を歩んだ津田青楓の経歴などから、彼の掛け軸における査定ポイントや買取相場が高い理由などを考察していきたい。
CONTENTS
このコラムには、合法的な広告・宣伝が含まれている可能性があります。また、当社のサービスである「ヒカカク!」と「magi」の紹介も含まれています。
津田青楓とは?
書家、画家、随筆家といった幅広い分野で活躍した津田青楓は、現代社会で例えるマルチアーティストだ。また書と日本画に没頭する過程で良寛に心酔した津田青楓は、良寛研究家としても知られている。
学生時代
華道家の家に生まれた津田青楓は、四条派の升川友広や谷口 香嶠といった人達に師事しながら、日本画の基礎を学んでいた。また1897年に入った京都市染織学校を卒業した後は、日本画を学びながら同校の助手を務めていた時代もあったようだ。
それから2年後に関西美術院に入学した彼は、重要文化財作品も多く制作している浅井忠や鹿子木孟郎のもとで、洋画と日本画を本格的に学ぶようになる。そして最終的に津田青楓は、去風流家元をしていた華道家の兄・西川一草亭とともに、小美術会を結成したようだ。
パリへの留学
1907年からパリ留学をした津田青楓は、その後の人生に大きな影響をもたらす国際的美術運動のアール・ヌーヴォーと出逢うこととなる。また農商務省海外実業実習生として安井曾太郎とともにパリに渡った津田青楓は、多くの有名作家が学んだアカデミー・ジュリアンにてジャン・ポール・ローランスに師事していたようだ。
左翼運動により日本画家へ
パリ留学を通して従来の様式に囚われない表現について学んだ津田青楓は、帰国後、文展を脱退し二科展の創設に尽力する形となる。また河上肇の影響によりプロレタリア運動に参加した彼は、徐々に左翼的な活動や作風が際立つようになっていったようだ。
こうした経歴を経て、大変立派な国会議事堂と粗末で恵まれているとはいえない庶民の家屋群を対比させた「ブルジョワ議会と民衆の生活」という二科展出品作品は、警察の圧力によって「新議会」という無難なタイトルに改題させられてしまった。また2年後には、小林多喜二の虐殺を題材にした油画「犠牲者」の出品により再び警察から圧力を受ける形となってしまったため、留置を受けた彼は結果的に二科展を脱退し、洋画家から日本画家へと転身する決心をしたようだ。
夏目漱石との繋がり
波乱万丈な作家人生を送った津田青楓の親友は、小説家の夏目漱石だ。「明暗」や「道草」といった作品の装丁を手掛けた青楓は、漱石に油画の基本を教えていたとも言われている。また津田青楓の「少女像」のモデルは、夏目家の四女・愛子であったため、彼らの付き合いは個人の域を遥かに超えた家族ぐるみのレベルだったと捉えて良いだろう。
装丁・装画
図書館情報学者の金子量重は、夏目漱石と津田青楓の関係について「漱石はまるで、津田青楓の腕前を試すかのように、2人の弟子の作品が完成した後に装幀を依頼している」と書いている。しかし児童文学者・鈴木三重吉との間には、装丁をめぐるトラブルがあったとも言われているため、津田青楓は、装画や装丁を得意とする日本画家としての人生においても波乱があったと言えそうだ。
津田青楓と良寛
津田青楓が良寛に心酔するようになったきっかけは、警察からの圧力によって油絵画家としての筆を折る決意をした時だと言われている。またそんな津田青楓が良寛に触れたのは、親友・夏目漱石に誘われて出かけた「良寛展」がきっかけとなったようだ。こうした形で書の世界に目覚めた津田青楓が、日本画の技法で漱石や弟子たちの装丁を描いていたと考えると、彼らの関係は単なる友人としての域を超えたものだったと考えて良いだろう。
青楓美術館
山梨県笛吹市には、津田青楓の作品を専門とした「青楓美術館」がある。彼と親交のあった歴史研究家・小池唯則によって開館したこの施設には、コレクターや青楓の家族から寄贈された500点もの作品が所蔵されている。また同美術館では「青楓、良寛の書と心に出会う」といった企画展も開催された実績がある。
こうした形で美術館所蔵の多い作家の場合、買取市場における作品の流通量が著しく少ない傾向があるため、津田青楓の掛け軸が多くの買取店から歓迎される理由も納得できると言えるだろう。
津田青楓の掛け軸における買取相場
続いて、テレビ番組やオークション市場で公開されている、津田青楓の描いた作品の買取相場を少し紹介しておこう。
宝船
お正月の床の間に似合いそうな「宝船」という掛け軸には、ヤフオクにて50,000円で一発落札された実績がある。良寛の影響を受けた書と絵画が一体となったこの作品は、津田青楓らしい水墨と彩色のコラボが見られる存在と言えそうだ。コンディションが良く最高傑作とも言える掛け軸については、この出品のように早々と一発落札でオークションが終了することもある。
良寛詩
津田青楓の良寛への想いがよく伝わる「良寛詩 蔬菜画賛」という掛け軸は、48,700円でヤフオク落札されている。1,000円スタートだったこの出品では、27件もの入札が入っている。商品情報では「鑑定機関にかけていない」というコメントが見受けられるが、それでも落札者側で本物だと認められる要素が多ければ、これだけの高額落札も期待できると考えて良いだろう。
絵葉
人気テレビ番組・開運なんでも鑑定団では、脳科学者の茂木健一郎さんが「夏目漱石の絵はがき」というタイトルで津田青楓も制作に関わった作品を出品している。津田青楓の署名によって真筆と判断されたこの絵はがきは、裏面しか残っていない不完全さにより400,000円の鑑定額となってしまった。これがもし両面使えるきちんとした絵はがきだった場合は、歴史的資料としての価値もプラスされることでかなり高い鑑定額が期待できたと言えるだろう。
津田青楓の掛け軸を高価買取に繋げる査定ポイント
最後に、津田青楓の掛け軸や絵画作品をより高く売るために欠かせない査定ポイントを整理していこう。
掛け軸の査定基準において意外と重要視されるもの
掛け軸の買取業者では、作家名や作品名だけでなく制作年代やコンディション、付属品の有無などの情報を総合して買取査定額を算出する仕組みとなっている。
死没から40年近く経つ津田青楓の掛け軸はそのほとんどに経年劣化が生じているため、紫外線や湿気などに注意をして大事に保管することも忘れないようにして欲しい。また買取相場の多くは付属品が全て揃った金額となるため、共箱や軸装に破損や紛失がある場合についても、減額査定の対象になると考えた方が良いだろう。
相見積もりで高価買取を狙う方法もある
多くの買取業者でオンライン査定を行うようになった近頃では、自宅に居ながらにして相見積もりも簡単取れる時代になりつつある。複数の買取専門店から見積もりをとると、自身が所有している掛け軸の価値についてもより客観的に判断できるようになる。また各社の査定額やサービスを比較検討することで成約時の決断もしやすくなるため、優柔不断な人こそオンライン査定やLINE査定を使った問い合わせを上手に活用するようにして欲しい。