歌川広重(読み方:うたがわひろしげ)は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師だ。本名は安藤重右衛門だが、過去には安藤広重とも呼ばれていた。風景画を得意とし、東海道にある53の宿場を書いた連作「東海道五十三次」や「名所江戸百景」などが有名だ。
歌川広重の浮世絵はとても知名度があり、日本だけでなく海外でも評価が高いので買取価格も高額になることが予想される。今回は、歌川広重の生い立ちや歴史を紐解きながら、作品の買取相場や価値についても解説していく。歌川広重の作品を現在持っていて、売却しようか迷っている方や歌川広重の作品をこれから集めようと思っている方は本コラムを参考にしていただきたい。
本記事のポイント
- 歌川広重はゴッホやモネなどの印象派にも影響を与えた人物
- 歌川豊国、歌川豊広との関係性は?
- ライバルの葛飾北斎と混同されがち

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歌川広重の経歴
歌川広重は多色刷り技法・テクニックを使う錦絵という木版画・浮世絵を制作していた、化政文化を代表する画家だ。特に作品の構図などは、ゴッホやモネなどの印象派の西洋画家にも影響を与えており、歌川広重の傑作は日本国外での評価も高いといえる。
歌川広重の生い立ちを知ることは作品の価値を知る上でとても重要なことなので、ここでは歌川広重の生い立ちや歴史について詳しく紹介していく。
生い立ち
歌川広重は、1979年に江戸の定火消しをしている父・安藤源右衛門の長男として産まれ、1809年には父・安藤源右衛門の後を継ぎ火消同心となる。定火消とは江戸幕府の役職で、市内の消防活動や警備をおこなう仕事だ。
小さいころから絵に強い関心を抱いていた歌川広重は、1811年に当時人気が高かった浮世絵師・歌川豊国に弟子入りを決意するが、門生がいっぱいだったため断られてしまう。その後、歌川豊国と同じ歌川豊春の弟子である歌川豊広の元に弟子入りすることになる。弟子入りして約1年後、歌川豊広から歌川広重という名を与えられ、役人の仕事と掛け持ちしながらも本格的に絵を描くようになっていった。

名所絵・風景画「東都名所」で有名に
絵描きとして活動し始めた当初は、歌舞伎役者などの人物画を中心に描いていた歌川広重だったがなかなか名が売れず、1828年に師匠である歌川豊広が亡くなった後は、自分の得意分野である風景画を描くようになり、実質的なデビュー作として出した「東都名所」という江戸の名所を10枚の風景画で描いた作品で一躍有名となる。江戸時代は情勢が安定し庶民の間でも旅行が盛んになり始めて間もない時代で、歌川広重をはじめとする絵師たちは名所絵がこれから流行ると目をつけたのだ。
名所絵といえば、葛飾北斎の「富嶽三十六景」が現代でも知らない人はいないくらい有名だが、名所絵が江戸時代に注目を集めたきっかけとなったのも「富嶽三十六景」のおかげと言えるだろう。歌川広重は「富嶽三十六景」の2年後に「東海道五拾三次」を発表し、有名な葛飾北斎をおさえたため、その高い忠実性から名所絵の第一人者や天才との呼び声も高い。当時の名所絵の人気は歌川広重が高かったものの、現代でも葛飾北斎とはライバルであるとの認識があり、お互いの画風を切磋琢磨させていた。

代表作「東海道五十三次」の誕生
1833年、歌川広重は東海道にある53の宿場をそれぞれに描いた「東海道五十三次」という作品で浮世絵師としての地位を確固たるものにする。東海道というのは徳川家康によって作られた五街道のひとつで、東海道はとくに見どころが多いことから浮世絵の題材として採用されることが多かった。東海道は江戸の日本橋から京都の三条大橋までで距離にすると約490kにも及ぶ。
この「東海道五十三次」を制作するにあたり、歌川広重が実際に幕府の一行に交じり京都を目指した際に見た風景を描いたとも言われているが、本当は歌川広重本人は旅に参加しておらず司馬江漢の洋画を模写して描いたとも言われており、どちらが本当かはいまだにわかっていない。歌川広重は、生涯で東海道を題材とした作品を20以上描いているが、その中でも「東海道五十三次」は最も有名な作品で、また最も売れた作品とされている。
特徴的な広重ブルー
歌川広重が浮世絵師として活躍していた当時、ベロ藍と呼ばれる深い藍色が流行した。元々は海外の塗料職人が赤の塗料を作ろうとした際に偶然できた色で値段が高価であった。
そのため絵師たちはあまり使えなかったが、中国が大量生産したことで安価で手に入るようになり、歌川広重のほかにも葛飾北斎や溪斎英泉といった人気絵師もベロ藍を作品に取り入れるようになった。歌川広重は、「東海道五十三次之内 沼津 黄昏」や「六十余州名所図会 阿波鳴門の風波」といった作品でベロ藍をうまく使用し、ベロ藍の扱いのうまさからベロ藍のことは広重ブルーと呼ばれるようになった。
ゴッホからも支持された歌川広重の浮世絵
天才画家として知られるフィンセント・ファン・ゴッホ。「ひまわり」や「星付月夜」などの作品が有名だ。ゴッホは1886年、弟のテオを頼りにパリに行き、そこで当時流行していた浮世絵に出会う。浮世絵の世界観にすっかり魅了されたゴッホは、貧しい生活を送りながらも浮世絵を購入したり、美術館へ何度も通っていたがそれだけでは飽き足らず、浮世絵の模写をおこなうようになる。
膨大な量の浮世絵作品コレクションの中でも、特にゴッホは歌川広重の作品を気に入っており、江戸名所百景の「亀戸梅屋舗」や「大はし あたけの夕立」といった浮世絵の模写をおこなっていた。ゴッホの作品で有名なものの1つに画材屋の主人をモデルとした「タンギー爺さん」があるが、この作品の背景には実際にゴッホが所有していたとされる歌川広重の「冨士三十六景 さがみ川」や「五十三次名所図会 石薬師」などといった作品が描かれている。
ゴッホは、弟のテオや妻のヨハンナに宛てた手紙などを数多く残している。その中でも、テオに宛てた手紙には「幸せを感じずに日本美術を研究することはできない。日本美術はギリシャの芸術や我が国を代表するレンブラントやフェルメールの芸術のように、終わりがないもののように思える。」と、日本美術に対する愛を語っている。
歌川広重の代表作品・有名な作品
江戸時代を代表する浮世絵師として今もなお多くの人から愛されている歌川広重。61歳でコレラに感染しその生涯に幕を閉じるまでに多くの作品を世に送り出してきたが、その中でも有名な作品を紹介する。
東海道五十三次 日本橋 朝之景
東海道五十三次は、上記でも説明した通り日本橋から三条大橋までの道中を53枚描いた作品だが、その中でも旅の始まりとされている「日本橋」は、誰もが1度は目にしたことがあるほど有名な作品なのではないだろうか。日本橋を参勤交代の大名行列が渡っているところを描いた作品で、天秤に魚を入れた商人や右端には犬もいたり、まさに日本橋の活気あふれる朝の一幕を切り取った作品だ。
冨士三十六景
富士三十六景は、36枚からなるさまざまな富士山を描いた作品だ。富士といば同じく人気浮世絵師・葛飾北斎の「富嶽三十六景」を思い浮かべる人も少なくないが、歌川広重の忠実な再現力で描かれた36枚の富士は圧巻である。
中でも「東都両ごく」は、両国橋の向こう側に見える雪の残った富士を描いた作品で、前方には屋形船に乗っている着物姿の女性や両国橋を渡るたくさんの人が描かれており、夜になるにつれて賑わいをみせる人々の日常と変わることのない富士の姿を捉えた作品として有名だ。そのほかにも、桜の木と富士が印象的な「東都墨田堤」や、紅葉の名所として知られる鴻ノ台から夕暮れ時の富士を描いた「鴻之台とね川」などがある。
江戸名所百景
江戸名所百景はゴッホも愛した名作として知られており、1856年~1858年の間に119枚の江戸の名所を描いた作品で歌川広重の最後に手がけた名所絵として広く知られている。春の部、夏の部、秋の部、冬の部とそれぞれ分かれており、季節ごとに雰囲気を変える江戸の名所を歌川広重ならではの視点で捉えている。
発売当時、江戸の多くの人々はこの作品に魅了され、どの絵も1万枚以上売れたので増版を要したという。119枚ある中で、現代人の私たちが良く目にする作品は雪の積もった浅草寺を近接拡大の手法を用いて書いた「浅草金龍山」や、ゴッホが模写したことで有名な「亀戸梅屋舗」、雨が降りしきる中大橋を渡る人々を描いた「大はしあたけの夕立」ではないだろうか。
そのほかの代表作
- 「鳴海 名物有松絞」
- 「飛鳥山北の眺望」
- 「伊予西条」
- 「亀戸梅屋敷」
- 「金沢八景」
- 「即興かげぼしづくし」
- 「月の松」
- 「月の岬」
歌川広重の作品価値
歌川広重は日本を代表する浮世絵師だが、そんな彼が手がけた作品ならどれも価値が高く買取額も高額になる。もちろん作品の状態や内容にもよって価値は多少かわってくるが、歌川広重の作品ならば多少状態が悪くても高値が付くだろう。それだけ歌川広重の作品は希少で価値が高いということだ。
また、「東海道五十三次」や「名所江戸百景」といった数多くの作品の中の1枚を売りに出す場合は、どこから描いた絵かなどといったことも買取額に影響してくるようだ。さらに近年は海外でも日本の浮世絵が人気を集めていることもあり、今後さらに歌川広重の作品の価値は上がっていくと考えて良いだろう。現在、手元に売却を考えている歌川広重の作品があるならばぜひ1度査定に出してみることをおすすめする。
歌川広重の買取相場や値段
ここでは歌川広重の作品が過去にどれくらいの価格で買取されていたかを買取業者やオークションなどに分けて紹介する。これから歌川広重の作品を売ろうと考えているならぜひ参考にしてみてほしい。
買取業者での買取価格一覧
- 「東海道五十三次 日本橋 曙之図(蔦屋版)」26,000円(買取福助)
- 「東海道五十三次 手摺木版画(保永堂版)」10,000円(大進洋行)
浮世絵などの美術品は特殊で、残念ながら買取業者の中でも実際の買取金額を記載しているところは極端に少ない。買取業者に浮世絵を売る場合は、1度査定に出してみることで買取金額を明確にすることができる。
最近ではメール査定やLINE査定といった査定方法が主流となりつつある。メールかLINEで作品の写真と詳細を送るだけでおおよその査定金額を出してくれるため、忙しい方や作品を買取業者までもっていくのが面倒な方は試してみてはいかがだろうか。
オークションでの落札相場一覧
- 「名所江戸百景 深川三十三間堂」133,000円
- 「所江戸百景 江戸百景余輿 鉄砲洲築地門跡」122,000円
- 「木曽海街道六十九次之内 中津川」106,000円
- 「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」84,100円
- 「名所江戸百景 四ッ谷内藤新宿」78,000円
- 「名所江戸百景 虎の門外あふひ坂」42,000円
- 「木曽海街道六十九次之内 須原」25,500円
- 「近江八景之内 唐崎夜雨」17,500円
オークションサイトでは上記のように数々の歌川広重の作品が過去に落札されており、状態や希少性にもよるがそのほとんどが高額で落札されている。(2021年4月23日調べ)
歌川広重の浮世絵査定ポイント
実際に歌川広重の作品を売る際に、少しでも高額で買い取ってもらうにはどうすれば良いのだろうか。ここでは高額査定のポイントを紹介していく。
数量限定など希少性の高い作品
そもそも浮世絵というのは、大勢の人々に向けて版画で刷られたものなので当時の江戸の人たちは気軽に購入していたとされている。したがって、大量に生産されていた作品や何度も刷られた作品よりも数量限定の作品は希少性が高く、その分買取金額も高くなり、さらに原画ともなればより高額な買取金額が付くことが予測される。また、木版から何度も刷れる浮世絵は復刻版も多く出回っているが、その中でも刷られた年代の古い作品は買取額もアップするようだ。

作品の内容や状態、落款の有無
歌川広重といえばやはり名所絵が人気で、「名所江戸百景」や「東海道五十三次」といった有名作品は高額買取が期待できる。また、広重ブルーが使われている「六十余州名所図会 阿波鳴門の風波」や「名所江戸百景 日本橋雪晴」も需要が高いのでその分買取金額も上がるだろう。
もちろん作品の状態も大事な査定ポイントで、カビやシミがある、一部が破けてしまっているなど状態が悪い作品はマイナス査定となってしまう。カビやシミに関しては保管に気を付ければ防ぐことが可能だ。直接日のあたらない風通りの良い場所で保管し、日ごろからこまめに手入れをするようにしよう。
なお、レプリカや贋作は基本的に価格がつかない。
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歌川広重の作品を売りに出す際、どこに査定を依頼すればいい良いか迷う人は少なくないだろう。買取業者は数多く存在するが、こちらでは浮世絵などの美術品を専門に扱っているアート買取協会を紹介する。
アート買取協会は、浮世絵やアンティーク品の買取をおこなっている買取業者で、年間3万点以上の美術品の買取実績がある。現在、浮世絵の買取を強化しており、有名な浮世絵師の作品ともなれば買取額も高額になることが予想される。査定は浮世絵に精通した鑑定士がしっかりと鑑定し、適切な価格を提示してくれるので安心だ。
まとめ
歌川広重は、葛飾北斎と並ぶ江戸を代表する浮世絵師である。主に名所絵を数多く手掛けており、そのどれもが価値の高い作品とされている。
またゴッホとの深い関わりもあり、海外でもその名は有名で今後も歌川広重の作品の価値はどんどん上がっていくことが考えられる。現在、歌川広重の作品を売ろうと考えている方は本コラムで紹介した買取相場や高価買取のポイントを参考にして、納得のいく査定額を目指してほしい。