古着はときに高値で高額買取される。歳月が経って味が出てきた素材や、現代では見ることの少なくなった仕立て方に魅了される人は少なくない。古着といっても年代はまちまちだ。
この記事では、1980年代(80's)にスポットライトを当て、当時の日本経済やファッション業界の動向に触れつつ、同年代の古着の買取相場・査定情報について解説する。
CONTENTS
こちらのページには広告パートナーが含まれる場合があります。掲載されている買取価格は公開日のみ有効で、その後の相場変動、各企業の在庫状況、実物の状態などにより変動する可能性があります。
80年代の日本
80年代の象徴こそ、バブル経済だ。日本の景気は大盛況時代を迎え、世界からジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされた。
バブル経済の発端は1985年のプラザ合意とされている。この名前の由来にもなっている、アメリカニューヨーク市にあるプラザホテルにて、G5が為替レートの安定化に関して合意した日である。
プラザ合意後、日銀によって刷られた大量のお金が日本市場に流れ込んだ。銀行は他行に遅れを取るまいと、お金を積極的に貸し出すようになり、それらの資金の多くが不動産投資へと使われた。これが土地価格上昇へとつながり、その土地を担保にしてさらなる資金調達がされるという錬金術が見られた時代でもあった。
80年代の日本のファッション
80年代のファッションに目を向けてみよう。経済的に豊かさの増した日本では、世代を問わずお金をかけたファッションが楽しまれた。この時代に流行したファッションアイテムやスタイルには次のようなものがある。
- ・ボディコン: 女性の体形を美しく見せるタイトなドレス
- ・ニュートラ: 海外の有名ブランド小物をトラッドファッションに合わせるスタイル
- ・ハマトラ: 横浜で生まれた、ポロシャツ、ベスト、カーディガン、タータンチェックの巻きスカート、ハイソックス、パンプスなどを基本としたスタイル
- ・コンサバ: 礼服にも似たような、エレガントでありながら控えめな女性を演出するようなスタイル
そしてこの時代にファッション業界で一世を風靡したブランドこそ、DCブランド(デザイナーズ & キャラクターズ ブランド)だ。以下で代表的なものを紹介していく。
イッセイミヤケ
イッセイミヤケとは、三宅一生が立ち上げたファッションブランドである。広島出身の三宅は大学入学時に上京し、多摩美術大学図案科を卒業。パリで4年間の修業期間を経て、アメリカ ニューヨークへ渡りさらにデザインの経験を積む。
そして日本に帰国後、1970年に三宅デザイン事務所を設立する。1973年にはパリ・コレクションに初参加。一枚布で身体を包み込んだ独特のファッションは、西洋でも東洋でもない世界服として評価された。
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コムデギャルソン
コムデギャルソンは、女性ファッションデザイナー川久保玲によって生み出されたファッションブランドだ。東京出身の川久保は、慶応義塾大学文学部哲学科を卒業後、株式会社旭化成宣伝部に入社した。
同社を3年で退職した川久保は、その後フリーランスのスタイリストとなり、1969年にコムデギャルソンブランドを立ち上げた。ブランドの意味はフランス語で「少年のように」。 実質的な意味は「少年の持つ冒険心」である。
1981年にコムデギャルソンを引き下げパリ・コレクションに参加した川久保は、そのアバンギャルドなスタイルでパリのファッション界に大きな衝撃を与えた。翌年1982年のパリ・コレでは、伝説とも言われる穴あきニットの黒服を発表。世界のモード界を震撼させ、黒の衝撃と謳われた。国際世論からも賛否両論されたが、日本でも流行し、それらを着るものたちはカラス族とも呼ばれた。

ヨウジヤマモト
ヨウジヤマモトは、山本耀司によって生み出されたファッションブランドである。東京出身の山本は慶応義塾大学法学部を卒業後に文化服装学院も卒業し、1972年に株式会社ワイズ (Y‘s)を設立。
1981年にパリコレに初参加した。ボディコンシャスなファッションが慣習となっていた時代に、山本の打ち出したアシンメトリックなカッティングや、まるで体と服の間に空気を含むようなシルエットは大きな衝撃を与え、ファッション業界に革命を起こした。
2002年にはアディダスと共同でつくられたY‐3ブランドのクリエイティブディレクターに就任している。また、北野武監督映画の衣装制作なども手掛けている。

KENZO
KENZOは、高田賢三が1970年につくりあげたファッションブランドである。1939年に兵庫県の日本旅館を営む家に生まれた高田は、和服の女性に囲まれて育った。そんな環境も相まって、幼い頃からファッションに興味を抱いた高田は、神戸外国語大学を中退し、文化服装学院に入学した。
KENZOを生み出した1970年に、パリコレクションデビューを果たしている。カラフルな色使いや花柄、和洋折衷など独自のテイストで注目を浴びた。1999年に高田賢三はデザイナーを一度引退したが、後に自身の名を冠した「高田賢三」という新会社を設立し、YUMEというブランドを立ち上げている。
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古着とヴィンテージの違い
このような80年代のファッションアイテムを扱う買取業者も見られるが、買取の内容に移る前に、古着とヴィンテージの違いについて簡単に触れておく。古着とはつまり、一度でも誰かが着用した衣類で、中古の衣類全般を指す言葉だ。一方ヴィンテージは、はっきりとした定義はないものの、単に昔のもの、古いもの、すでに使用されたもの、というだけでなく、一定の質を兼ね備えたものを意味する。
より具体的に言えば、ヴィンテージとしてふさわしい衣服には、デザインや素材の優位性が求められるということだ。現代にはもう見られないような仕立て方がされているものは、よりヴィンテージとしての価値が増す。また、ある程度の年月が経っているものがヴィンテージの対象となる。
1990年代につくられた衣類をヴィンテージと呼ぶには早すぎるだろう。では80年代のものはどうかというと、まだ早いという声も聞こえる一方で、そのように呼ばれているものも中にはある。注意したいのは、ヴィンテージと呼ぶほうが響きがいいこともあるのか、単なる古着でもそのように扱っている店も見られることだ。
ちなみに、デッドストックという言葉を聞いたことがある人もいるはずだが、これは未使用のまま保管された昔の商品を意味するからヴィンテージとは違う概念だ。


80年代古着の取引実績
ときにヴィンテージとも呼ばれる80年代のDCブランドアイテムは、現在どれほどの金額で取引されているのだろうか。ヤフオクでの一例をご紹介したい。(2019年4月17日調べ)
- ・コムデギャルソン ロゴプリント 袖レザー ロングスタジャン → 99,990円
- ・コムデギャルソン ロゴバックプリント ウール ミリタリー クルーネックニットセーター → 59,990円
- ・Yohji Yamamoto POUR HOMME パッチワークツイードジャケット → 36,800円
スタジャンをはじめとして、数万単位の高額取引がされているのがわかる。
80年代古着高額買取のコツ
80年代古着で高額買取を狙うならば、次のことに気を付けたい。
汚れ、シミ、臭いを落としておく
品物の状態は査定に影響する。そのため、頑固な汚れを無理やり落とそうとして品物を傷つけることは避けたいが、普段通りの洗濯はしておきたい。特定の部分に汚れやシミがある場合には、部分用洗剤を使うのがおすすめだ。
逆に、ろくに洗濯もされておらず湿っぽかったり、臭いがついていたりすると当然ながら査定金額は抑えられてしまう。
シワを伸ばしておく
シワが目立つ品物はどうしても見た目で減点され査定額が下がってしまう原因になる。そのため、買取に出す前にアイロンなどでシワを伸ばしておこう。
その際、生地を傷めないようアイロンの設定温度にはくれぐれもご注意を。せっかくアイロンまでかけた品物だ。梱包時に再びシワのできないように気を配ろう。
一方で、クリーニングにまで出すかどうかは慎重に検討したい。よほどの高額アイテムであればその価値もあるが、かえってクリーニング代が高くつく可能性もあるからだ。
適切なシーズンに売ろう
買取業者の「ジャケット・ダウン高額買取中」などの広告を見たことはないだろうか。これは季節によってアイテムの需要が変わることを意味する。ジャケットやダウンならば当然秋冬に需要が高まるから、売る季節もそれに合わせたほうが高値がつく可能性がある。
むしろ、先取りするくらいでちょうど良い。目安としては、
- ・春物:2~3月
- ・夏物:5~6月
- ・秋物:7~8月
- ・冬物:10~11月
に買取に出すイメージだ。買取数が増えて豊富な在庫ができれば、店側の需要も下がってしまうだろう。それによって査定金額が下がってしまうのを避けるためにも、早めの衣替えと早めの売却をおすすめしたい。
おしゃれをしていく
これは店舗買取に出す場合に気を付けたいポイントだが、自分なりにおしゃれをして行ったほうがいい。意外かもしれないが、品物の査定を行う人間は、買取依頼をする人物の服装を見ているものだ。
それによって査定金額が上下することは珍しいことではない。シワが目立ち、襟もヨレヨレの服を着た依頼主の品物が安っぽく見えてしまうのは、なんとなく想像がつくはずだ。
80年代古着のおすすめ買取業者
80年代古着の売却を検討しているならば、次の3つの買取業者がおすすめだ。
ACORN
買取価格
スピード
手数料
許可番号
ポリシー
ウイルス
対策
ACORNは、ヴィンテージ古着の買取を行っているショップだ。買取方法は2種類で、店舗買取と郵送買取がある。実店舗は大阪心斎橋駅徒歩5分の場所に位置する。
その場ですぐに査定・現金化してもらえるため、間接的な取引に不安がある人にはおすすめだ。郵送買取の場合も最短即日査定を謳っている。
また、宅配送料、査定手数料、振込手数料は全てACORN社負担となっている。そのため、買取金額を丸まる手元に残すことができるのもポイントだ。
PLAYFUL(プレイフル)
買取価格
スピード
手数料
許可番号
ポリシー
ウイルス
対策
プレイフルは、DCブランドを中心に買取を行っているショップだ。ホームページでも主要買取ブランドとして、コムデギャルソン、イッセイミヤケ、ヨウジヤマモトを挙げている。プレイフルでは宅配買取、全国出張買取、店頭買取、在庫買取の4つの買取方法が選べる。
プレイフルは20年以上のブランド買取実績があるため、安心して取引ができる。また、買取に関して依頼する側の費用は発生しない。個人だけでなく、法人取引もおこなっているため、過剰在庫やアウトレット品の処分などにも利用できる。
一度取引した人が再度利用するリピート率はなんと92%だ。大多数の人が買取金額に満足しているのがうかがえる。
ECOSTYLE(エコスタイル)
買取価格
スピード
手数料
許可番号
ポリシー
ウイルス
対策
エコスタイルも、古着買取を行っている。創業2001年の実績のあるショップだ。買取方法は、店舗買取、宅配買取、出張買取、手ぶら買取の4つだ。
4つ目の手ぶら買取はなかなか珍しいのではないだろうか。手ぶら買取とは、査定を依頼したい品物を事前に店舗に送っておき、見積金額を後日受け取りにいくという買取方法だ。直接金額については聞きたいが、品物の量が多くて直接持っていくのは大変だ、というような人に利便性の高い方法となっている。
ちなみに、事前に送る品物の発送料や、見積の費用はエコスタイルが負担してくれる。万が一買取が成立しなかった場合でも、依頼主に返送料がかからないのも魅力的だ。
また、そもそも公平な査定がしてもらえるかどうかも気になるところではないだろうか。エコスタイルはこの点においても安心できる。なぜなら、
- ・リユース営業士
- ・遺品整理士
- ・生前整理アドバイザー
- ・整理収納アドバイザー
- ・終活カウンセラー
等の有資格者が専属アドバイザーとして顧客1人1人につくようになっているからだ。法令を遵守した上記の資格所有者の手で、買取サービスを提案してくれるのがエコスタイルの強みである。
まとめ
80年代の日本はバブル期真っ盛りで、その時代を象徴するファッションスタイルも生まれた。国内のDCブランドが誕生し、パリ・コレクションなどを通して世界的に有名になったのもこの時期だ。
同ブランドには現代でもファッション業界を牽引しているものが少なくない。時代の流れを汲みつつ、次々と新作を手掛けるDCブランドのデザイナーたちは称賛に値する。
一方で、当時生み出された品物も色あせてはいない。その証拠にオークションサイトでも80年代の物が高額取引されているし、DCブランドに特化して買取を行っているショップだって存在している。これらのオークションや買取ショップを通じて、着なくなった80年代の古着が誰かの手に渡るとき、一度は止まった時計の針が再び動き出すのだ。
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